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江戸幕府は天草四郎と由井正雪ではどっちがより悪いと

江戸幕府にとって、天草 四郎(あまくさ しろう)と 由井 正雪(ゆい しょうせつ)では、どちらの方が、より大罪人だと思われていたのでしょうか?

江戸幕府は、天草 四郎(あまくさ しろう)と 由井 正雪(ゆい しょうせつ)とでは、どちらの方がより大罪人だと考えていた、と思われるかを教えてください。

投稿日時 - 2020-01-24 20:34:19

QNo.9705205

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質問者が選んだベストアンサー

天草四郎かな…
あれは豊臣再興のための戦なので
幕府としては徹底的に潰したでしょう

大塩の乱は幕府内や将軍側近にすら
同情の声がありました(それだけ幕府の体制が終わりに近づいてたって事ですが)

投稿日時 - 2020-01-26 17:37:53

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:15:10

ANo.7

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回答(8)

ANo.8

大塩じゃなくて油井正雪でしたね(訂正)

投稿日時 - 2020-01-26 17:38:56

お礼

御回答ありがとうございました。

そうです。

投稿日時 - 2020-01-27 10:24:42

ANo.6

それは「ハンバーガーとラーメンと、どっちが健康に悪いですかね?」と聞くのに似てて、比較するのは難しいと思います。ハンバーガーもラーメンもどちらもジャンクフードで体に悪いように、島原の乱も由井正雪の乱も国家(幕府)への反乱という点では同罪です。

戦国時代が終わったとき、頭の痛い社会問題が「失業したフリーター武士の雇用問題」でした。戦さがなくなれば、兵士は不要です。しかし戦国時代には合戦のときだけ雇われるフリーター武士が数多く存在しました。彼らは武器を持ち歩いていて戦争の経験が豊富な傭兵です。いったんテロリストになってしまえば国家にとって非常に危険な存在です。そんなのが戦争が終わって日本全国にあぶれるようになったのです。
豊臣秀吉は、朝鮮出兵でそれを解決しようとしました。国内に雇用がないなら、海外で雇用を作ればいい。秀吉の朝鮮出兵の理由というのははっきりしていませんが、少なからず国内の失業武士対策問題があったと思います。

江戸幕府は、まず大阪の陣で彼らを処分しようとしました。ちょっと無理ないいがかりをつけてまで豊臣家を潰しにいったのは、豊臣家で失業武士を多く雇ってもらい、彼らを殺すなり打ち破るなりして処理しようとしました。敗残兵となって武器も何も失った彼らは帰農するなり出家するなり商売を始めるなりどこかで野垂れ死ぬなりの運命となりました。

そして島原の乱となります。島原で農民反乱が起きると知ったら、多くの失業武士が島原の農民たちを救ってあわよくばまた戦乱の世にならないかと島原に集まってきたのです。
島原の乱で幕府側が鎮圧にてこずった理由がこれです。農民軍の実態は、百戦錬磨の傭兵の集団だったのです。一方の幕府軍側にはもう戦場の経験がない官僚型武士が多くいたので戦争のやり方を知らず、大敗を喫したのです。
島原の乱が始まる前、多くの失業武士が島原に集まっていくのを、幕府はあえて咎めませんでした。むしろ集まるに任せていた節があります。いちいち規制するよりも、島原に集めて鎮圧したほうがテロリストの根絶に繋がると思ったのでしょうね。

また由井正雪の乱(慶安の変)も、乱というより未遂事件であり、しかもかなり雑な計画です。丸橋忠弥が江戸城に押し入って将軍を誘拐し、由井正雪が京都で決起して天皇を擁して勅命を貰うって計画でしたが、根回しも何もなく、実際に実行されたとしても成功した可能性は限りなくゼロといえたでしょう。
けれど由井正雪は当時の同じような失業武士のカリスマみたいな存在でしたから、幕府としては秩序と平和の維持のためにはどこかで由井正雪を始末しないといけないと思っていたでしょうね。

島原の乱も、由井正雪の乱も、政治的な陰謀の匂いがぷんぷんと漂う事件ではありますね。幕府にとっては「あえて起こさせて、潰す必要があった」のではないかなと思います。
似たようなことは明治政府による西南戦争がありますね。あのときも、既得権益を失った失業武士の不満が日本中にあって全国あちこちで失業武士が反乱を起こしていた時代でした。

投稿日時 - 2020-01-25 19:26:50

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:17:43

ANo.5

由井正雪の方を大罪人としてとらていたかもしれません。
天草四郎に関しては幕府方、藩主が領民の生活が成り立たないほどの過酷な年貢の取り立てによって一揆を招いたとして責任を問われて改易処分の後、斬首になっています。後、キリシタンに関してある程度、黙認する方針に変えたみたいです。(探索などはするが見えない所でやってくれ見たいに)。締め付けすぎると反乱を起こし大量に死者が出たら困るという意味合いがあったみたいです。

投稿日時 - 2020-01-25 17:25:20

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:16:45

ANo.4

どうでしょう?と問われると、当事の幕府にとって鎖国より武断政治廃止のほうがはるかにでかいかと。

ただこの転換が将軍個人の性格故か慶安の変のインパクトのでかさかどちらに比重を置くべきかはちょっと判然としない問題です。

投稿日時 - 2020-01-25 01:35:19

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:18:48

ANo.3

由比正雪は一応武家の出を名乗ってて実際よくわかりませんが、反乱に加わったのは浪人でこれは武士反乱ですよね。
農民反乱である島原の乱よりは問題の質が大きく幕府としては注視すべきことです。
この乱をきっかけにしたかどうかはわかりませんが、以後幕府は武断政治から文治政治に切り替えています。

投稿日時 - 2020-01-25 00:35:47

補足

ご回答ありがとうございます。

>この乱をきっかけにしたかどうかはわかりませんが、以後幕府は武断政治から文治政治に切り替えています。

しかし、島原の乱も、これをきっかけにして、家光は本格的にほぼ完全な鎖国に踏み切りますよね。

どうでしょうか?

投稿日時 - 2020-01-25 01:11:14

ANo.2

 天草四郎は後世の目から見ると乱を起こしたとは言えず象徴として担がれただけでした。実際彼の母親は処刑されておらず後に天草四郎の墓を建てています。島原の乱を起こした犯人として斬首されたのは幕府方のはずの島原藩主松倉勝家でした。藩主の悪政が乱の原因とみられたのです。一方、由井正雪の乱では正雪の父母妻子兄弟など親族がみな死刑になりました。

投稿日時 - 2020-01-25 00:06:39

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:17:58

ANo.1

>江戸幕府は天草四郎と由井正雪ではどっちがより悪いと

当然、天草四郎時貞ですね。
幕藩体制が固まっていない時代に、豊臣恩顧の浪人部隊とクリスチャンが反乱を起こしたのですからね。
これは、幕府を破壊するのが目的で無く「海外と繋がっている」戦いです。
幕府・プロテスタント連合軍対旧豊臣部隊・カトリックの連合軍との戦いです。
この戦いに、幕府軍が敗れていればスペイン・ポルトガルの影響下に日本が入っていたかも知れません。
※スペイン艦隊は、旧豊臣部隊との約束通りに島原に来航しなかった。
※オランダ艦隊は、幕府の要請に応じて島原に来航しました。
※島原のクリスチャンは、同じクリスチャンのオランダ艦隊が幕府側についた事に衝撃を受けています。
油井正雪は、あくまで幕府への反乱に過ぎません。

投稿日時 - 2020-01-24 23:17:28

お礼

御回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-01-27 10:19:53

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