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競争の意義

最近の幼稚園や小学校などは
いわゆる運動会などにおいて”競争”をさせないと聞きます
これは本当なのでしょうか?

であるならばこれって意味があるのでしょうか?
(あるという観点からやっているのでしょうけど)
ワタシ的には将来が不安になります
競争は少なからず社会では必要な事であり
これに対応していく事ができなければ
社会で自立できないでしょう
こういう事から競争の厳しさやがんばろうという気持ち
を学んでいくのだと思います

ということは
これを経験しない子供たちは
将来どうなるのでしょうか?
”みんないっしょに”
なんていう甘い会社などあるわけがありません

将来的にはプロスポーツというものが
無くなるかもしれませんね
あれって典型的な競争でしょうから

皆さんはどう思われますか?

投稿日時 - 2002-06-11 11:53:14

QNo.289633

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回答(9)

ANo.9

はじめまして

競争って 生物が進化する過程そのものが 競争ですよね。
まぁ 実際は 競争しようと思って 競争しているのではなくて 競争の結果 進化しているわけですね。(進化、競争って 言葉をどう捕らえるかが 問題になりますが)
人間も生物だから どんなに理性で考えても 競争の結果が表れちゃいます。

無理矢理競争させることは必要ないと思いますが その人(こども)が競争したい(これは ××をやってみたい と同義語だと思います。)と思えば、それは やらせるべきです(誰も遮ることはできない)

「運動会」の意味付けが あまりよくわかっていないので コメントできませんが、教育の一環なら 無理に競争させる必要はないと思いますよ。元々 学校などの公教育で 競争 なんて 教えられないですよ。中途半端にやるなら止めちゃえばいい。
競争は 家庭教育だと思います。競争心なんて 自発性そのものだから マス教育では達成できないでしょう??

ということで 私は 公教育では 「みんないっしょ」でいいと思います。ただ 公教育では「一緒でないから 排除することはダメ」と教えなくてはなりません。
「競争」は それこそ 人生で大事なことです。ですので、公教育ではない場所での取扱になると思います。(そうなると 幼少のうちは 家庭教育だ)

投稿日時 - 2002-06-17 16:05:17

ANo.8

なんか最近では徒競走で早くゴールについた生徒たちが、最後にくる生徒をゴール直前で待ち、そして一緒にゴールのテープをきる、なんていう実例があるそうですね。

ベタな分析をしますと、これは「結果平等」ということを貫いています。なんだか社会主義みたいですね。でも日本は資本主義社会であるわけだから、こんなことがまかりとおるのは馬鹿げていると思います。徒競走を例にとってもこれでは、「別に努力をしてもしなくても結果は同じ」という認識を生徒に与えかねません。

教えるべきは「機会平等」ですよね。親の遺伝など、完全な平等なんてありえませんが、与えられた時間や教育、チャンスは同じだから、その中で努力をした者が報われるということを教えるべきではないでしょうか?負ける悔しさや勝った喜び、ビリになった情けなさなど、小さいうちにあじわっておいてもいいんじゃないかなあ、と思います。

結局、感じ取るのは子供たちです。アヤシイ大人の完全平等ユートピア像を子供に抱かせるのは、ちがうんじゃないの?というかんじです。
「将来が不安」とおっしゃるp-21さんの意見に同感です。そして将来を不安にした責任はアホな大人にあります。

投稿日時 - 2002-06-14 22:39:56

お礼

>、「別に努力をしてもしなくても結果は同じ」という認識を生徒に与えかねません。

これ ワタシ本当にそう思います
みな平等って本当に良い事なのでしょうか?
これは理想論であると思います
社会において働かない人間を誰が援助するのでしょうか?
会社においてもそういう人間を雇っていくほど
余裕は無いでしょう 特に今の時期は

幼少期にいつもどん尻でゴールしていたはずの人間が
「また助けてもらえる」程度の認識のまま大人になったら
どうなるのでしょうか?
他人の足をひっぱる事しか出来ないのではないでしょうか?
そうやって大人になった人間は
自ら事を押し進めて行く事などできるはずがありません
会社で言えば お荷物でしかありません

そんな言い方無いでしょう?
と思われた方は もしあなたが会社社長だとして
この厳しい時期に こういう人間を雇っていけるのでしょうか?

競争は資本主義の社会にとっては必要不可欠であると思います

>負ける悔しさや勝った喜び、ビリになった情けなさなど、小さいうちにあじわっておいてもいいんじゃないかなあ、と思います。

これは非常に大切な事です
競争を否定する方は これを経験されていないのではないでしょうか?

投稿日時 - 2002-06-14 23:00:12

ANo.7

競争の意味・役割を考えるとき、最も気をつけなければならないのは、「この種目で競争しよう」という本人の意欲と意志に基づくかどうかだと思います。オリンピックやプロスポーツは、競争が良い方向に結実する見事な例ですが、これは、はじめに言った本人の主体的意志・意欲に根ざす行為だからに他なりません。

ところが、義務教育過程などでは、皆に同様のことをやらせざる得ないことが多いです。例えば、体力的なコンプレックスに悩む子供にまで、50m走や懸垂の回数を競わせて席次をつけ、叱咤しても、悪い効果しか生まないでしょう。もちろん、これらの種目に自信をもち、より強くなりたいと思う子供がいれば、クラス選抜とか、学校選抜とかいう形で、どんどんハイレベルの競争に向かわせるのは良いことでしょう。

人間には誰にも、自分ならではの能力を見つけ、その舞台で思いっきり活躍したいという望みがあると思います。ある競争に負けた人を弱者と呼ぶのは誤っています。その人の得意な土俵が見つかって(あるいは出来て)いないと考えるべきです。学校は、生徒の能力を幅広い観点で見抜いてくれる場であってほしいと願います。

私も、保育園と小学校の子の親ですが、(私の知っている)小学校の先生は、上に述べたような競争の意味を、比較的うまく捉えてくれていると思います。ただ、勉強の進度が、理解の遅い子供に合わせざるを得ないことの弊害も感じています。優劣ではなく、その子の個性に合わせた、授業のやり方のバリエーションがあってもいいなどと考えております。

投稿日時 - 2002-06-14 19:37:31

お礼

>その子の個性に合わせた、授業のやり方のバリエーションがあってもいいなどと考えております。

これについてはなるほどと思います
しかし競争全てを否定するような行為は間違いであると思います
>はじめに言った本人の主体的意志・意欲に根ざす行為だからに他なりません。

現在の社会において(若者を含め) これが欠如していると思います
その原因はやはり甘えを助長するような教育方針のように思えますが・・・

投稿日時 - 2002-06-14 22:50:39

ANo.6

社会の発展を考えてみますと、なにが原動力だったかは明らかです。国と国の戦争は醜い人間の姿の究極の姿ですが、それも競争心からうまれたの確かです。他人に勝ちたいというのはおそらく本能でしょう。ゆとりある社会というのがそもそも個人が競争した結果の経済的な果実なのです。競争心から生まれた結果と競争心とは区別をしなければなりません。
本能というは美しいと思うのです。子供が徒競走で一生懸命走っている姿は美しく感動的です。なにか一心に求めるものの気持ちは同様に美しいと感じるのは私だけでしょうか。今サッカーが盛り上がっています。がんばって競争している人たちに醜さを感じる人がいるでしょうか。
競争は大いに推奨されるべきだと思います、しかし結果に関しては弱者救済的なシステムや結果としての富の配分の不公平には是正措置が必要だと思います。

投稿日時 - 2002-06-14 16:18:42

お礼

>競争は大いに推奨されるべきだと思います、しかし結果に関しては弱者救済的なシステムや結果としての富の配分の不公平には是正措置が必要だと思います。

そうですね 確かにそうだと思います
競争そのものを否定するのではなく
あくまで結果に対してフォローすべきだと思います

投稿日時 - 2002-06-14 22:46:51

ANo.5

競争という状態は一過性のMものとして処理されねばならない。
貧富の差を是正し、貧しい人達を養護するために、
累進所得税がある。制度として、貧しい人を援助するのには、
納税義務に基づく徴税と、それを分配するシステムが必要である。
ほうっておいたら、財を溜め込んだりする人が多かれ少なかれいるので、
こういうシステムがある。もともと財産権は、基本的人権や生存権よりも、
強い規制を受けて当然なのである。

投稿日時 - 2002-06-11 22:31:56

ANo.4

 うちの子の通う小学校は競走してますよ。昔からそうだったし、これからもそうであってほしいと思います。競争は必要です。
 どんな世界でもそうすが、否定的意見は表に出やすく、肯定的意見(賛成意見)は出にくいものです。これからも積極的に発言なさってください。応援します。

投稿日時 - 2002-06-11 18:36:30

お礼

PTAを代表とするヒステリック感情は
無責任極まりないものがあります
(ワタシが単に感じている事ですが)
雰囲気に流され本筋が見えなくなっているのでしょう
もし 自分ひとりが否定派、あとは実は肯定派だと知ったら
今までの勢いはどうなるんでしょう?
自分を棚に上げた意見は誰でも言えることですね

さて 競争については
ゆとり教育の弊害も含め 大いに見直して欲しいと思います
弱すぎる子供が多いと思いませんか?
ワタシが子供の頃は何かにつけて ビンタかゲンコツでした

ワタシ いろいろな事をやりたかったので
転職が実は多かったのですが(いずれも技術系ですが)
転職のたびに 競争は付きまといます
今の自分の地位を確保できたのも(がんばれたのも)
子供時代の経験がものを言ってると思います

>これからも積極的に発言なさってください。応援します。

これワタシに対してですか?
であれば ありがとうございます
黙っていてウジウジするのは嫌いなので
仕事においてもウルサイといわれるくらい
発言しています(笑)

投稿日時 - 2002-06-11 19:47:00

ANo.3

学問にしたって生活にしたって、競争などという野蛮なものを持ち込むのはいけません。なんでもかんでも「会社」を木順位考えるのは、人間的に狭いと思います。我々は、人として生きるために、衣食住を整え、自己鍛錬のために、
学問をなしているんです。もう資本主義も末期です。
新たなシステムへの転換が必要です。

投稿日時 - 2002-06-11 15:39:49

お礼

競争は野蛮なものなのでしょうか?
ワタシはそうは思いません
競争があるから人は向上する事が出来ると
思っています
企業においても同じ事が言えると思います
競争の無い独占的な
会社は成長が止まってしまいます

そういう意味において競争とはすばらしいと思うのですが

みな同じ は理想論に過ぎません
社会人に出て これは通用しないと思います
もし競争についていけなかった者がいたとして(努力をしない)
あなたは面倒を見る事ができるのでしょうか?
ワタシは出来ません あぐらをかいている人間に差し伸べる
気持ちも余裕も持ち合わせては居ません


いかがでしょうか?

投稿日時 - 2002-06-11 19:35:58

ANo.2

ちょっと質問がいくつかに渡っている気がするのですが

1.競争が無くなったのは本当か
2.自分は必要だと思うが、どうか
3.競争を経験しない子供はどうなるのか
4.プロスポーツは無くなるのか

1.~3.のそれぞれについて回答します。

1.自分の例からすると事実で、卒業した小学校も
 (1) 一部の足の速い子によって行なわれる
   リレー競技の廃止
 (2) 肉体的なぶつかりのはげしい、騎馬戦・棒倒しの
   廃止
 ということがありました。理由は、PTAからの圧力
 とのこと。
 勉強はからきし駄目だった友達が、リレーで先行者を
 一気に抜きトップでゴールした瞬間の彼に対する
 羨望の思い、そんなものも昔のことになってしまうの
 でしょうか。

2.自分達が経験した社会を元に、その必要性を説いて
 も虚しいだけなので、ここは一つ「競争廃止賛成派」の
 意見を聞きたいものですね。
 成績表だけ残る理由を疑問視するご意見もありますが
 もっともだと思います。

3.わたし自身、p-21さんのおっしゃるところの
 「競争」がある中で育ちましたが、学校を競争の場所と
 考えるのもどうかと思います。
 生活の全てを競争に置き換えて考える必要もないと
 思います。
 必要と思うご家庭では、必要に応じてご家庭でその環境
 を作ってあげればいいはずです。
 ただ、子供達は、幼稚園・小学校と育っていくなかで
 「平等」という名の元にかぶされる様々な「擁護の
 カーテン」により、自分の不得意分野、得意分野を
 知る機会を後回しにされ、それを知った時には、
 (1) 不得意分野を克服する、 
(2) 得意分野を伸ばす
 のに「時既に遅し」となるケースが増えていくのかも
 知れません。これまで以上に家庭での観察が必要です。

 さらに、これはご質問とは関係ありませんが、社会人
 として、今般「他人はどうでもいい」というような
 個人主義指向が進んでいるように思えます。「競争」も
 勿論大切ですが「協奏」ができる人材が欲しいと
 思っています。

投稿日時 - 2002-06-11 13:27:43

お礼

>ちょっと質問がいくつかに渡っている気がするのですが

ご指摘ありがとうございます

さて 運動会の競争(順位付けを含む)において
リレー競技は足の速い人間だけが参加しているように思えますが
ワタシはそうは思いません
これは対抗の団体競技ですからクラス一丸になって
闘っていると認識していますが、
もちろんリレー選手は熱い視線を浴びるという”快感”と
勝利へ導く”責任”がのしかかります
でもそれを達成できた時の充実感 これが廃止になるとは・・・
先生たちも順位つけの時代で育ったでしょうから
何とも不思議な気持ちでいるかもしれませんね
ちなみにワタシはバカでしたが
兄弟共に校内ベスト5には入っていましたので
運動会は大好きでしたね

>社会人 として、今般「他人はどうでもいい」というような
 個人主義指向が進んでいるように思えます。「競争」も
 勿論大切ですが「協奏」ができる人材が欲しいと
 思っています。

運動会は競争だけではなく団体の競技です
強調を学ぶにももってこいのものと思います
一丸となる気持ちは
順位のつかない競技において作られるものでしょうか?

PTAの反発はもはやバカなご意見番にしか思えません
体罰においおても
キチガイのような批判の結果
今のような身勝手な若者、我慢の出来ない子供が
増殖する結果になったとワタシは思っています

投稿日時 - 2002-06-11 13:54:17

ANo.1

幼稚園ですが、競争しますよ。
年少さんのかけっこでは、ただ走るだけで順位はつけませんが、年長さんになるとクラス対抗のリレーがあります。

現在の学歴社会では、学校が先頭を切って成績で順位をつけますよね。
成績で順位をつけて、運動会で競争しない。というのは矛盾しているように思います。

投稿日時 - 2002-06-11 13:14:39

お礼

>幼稚園ですが、競争しますよ。
年少さんのかけっこでは、ただ走るだけで順位はつけませんが

そうだったんですか
運動会で順位が付かないのって
何か味気ないなと思います
終わってからの充実感に浸れないと思いませんか?
ワタシは強くそう思います

投稿日時 - 2002-06-11 13:40:47

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