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解決済みの質問

あの世は平等?

「占い」ジャンルで投稿すべきものか分かりませんでしたが、霊的なものなのでこちらにさせて頂きました。
現世でいいことをした人、苦労した人にはそれ相応のご褒美を、悪いことをした人にはそれ相応のおとがめを、あの世で受けるのが平等ではないかと思うのですが、非常にショックな話を聞きました。
現世では散々ひどい目に遭い、若くして壮絶な苦しみを受けながら亡くなった方がいました。しかしその人は死後何百年とその苦しみを引き摺ったまま成仏できていないというのです。
これを聞いて、これまで「あの世は平等なんだから大丈夫」「この世で苦しい思いをしても、あの世でその分幸せになれるんだから」という安心が壊れ、なにかにつけて心配になってしまいました。苦しい思いをして亡くなった人の冥福を、笑顔で祈ることなんてできません。
現世で苦しい思いをした分、あの世で幸せになれるというのが平等ではないのでしょうか?
ついでに、現世で悪事を働いた人にはちゃんと罰が与えられるべきではないでしょうか・・・?

真実を知ろうと読み漁った霊学者さんの話はとてもアテにはならず、不安は募るばかりです。
あの世って、平等なんでしょうか?

投稿日時 - 2006-07-30 18:15:52

QNo.2309106

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

とても難しいご質問ですね。

確かにこの宇宙の摂理、「因果応報」は全ての人に平等に働くと思います。

ただし、この平等とは;
苦労したから幸せがやって来る、幸せだったから今度は苦労する・・といったものではないと思います。

他者に対して何をどんな動機で行ったか・・に依る平等な結果がもたらされるのだと思います。

苦労をしても世を恨み、悪事を尽くしたのでは益々よりいっそうの苦労がやってきますし、
幸せでもその豊かさを不幸な他者に分け与えていれば、これもよりいっそうの幸福が引き寄せられると思います。

逆に、苦労することによって人情の温かさ、ありがたみを実感し、他者に対する優しさと献身を身につけたならば、これこそ苦労による実りを手にしたことになり、その他者に対する優しさ、温かさが本人に幸福を引き寄せるでしょう。

社会的にも金銭的にも恵まれた人が傲慢におちいり、他者を馬鹿にし、貧者をないがしろにしたならば、その高慢さがやがて当人に不幸を引き寄せるでしょう。

その因果応報の働きが生まれ変わりの中で繰り返されるのが自然の摂理だと思います。

苦しみも幸福も全て自分で引き寄せたもの・・というのが因果応報です。
でもどんな苦しみも幸福も一時的なもので自分自身の観念が変わればあっという間に変わってしまうものです。

特に霊界は想念の世界なので自分の意識がそのまま自分の住む世界を決定してしまいます。
ですから死後、恨みつらみを抱くとそういう自分の状態(物質的にも)を作り出し、恨みつらみの苦しい世界に引き寄せられ、まるでそれが永遠に続くように錯覚し、苦しみます。
この時、もし恨みの感情こそ自分を苦しめている元凶だと悟って恨めしい他者を許し、人に対する愛と奉仕の感情を少しでもいだくならば、たちまち今度は愛と奉仕の世界に引き寄せられ、愛に満ちた人々の中で満ち足りた生活を送ることが出来ます。

この幸福界にも様々なレベルがあるようです。

結局、苦しむのも幸福を味わうのも自分次第だということです。
自分自身の負の感情が自分の地獄を作り出し、慈愛と奉仕の感情が自分の天国を作っている・・ということです。

因果応報は懲罰ではなく法則ですからありのままに平等に働きます。

幸福になりたいならば、人を出し抜いたり、上に立つことを目指すのではなく、心から強欲をなくし他者に対する慈愛と奉仕の精神で満たせば良い・・ということでしょうね。

この高い慈悲の心が唯一、この世あのに関係なく通用する通貨だ、ということでしょう。

それから不幸な子どものことですが、現世ではこどもでも魂的には大人です。
もしかしたら質問者様よりずっと古い魂かもしれませんよ。
不幸なことに今回は幼くして亡くなってしまったということでしょうね。

でも、一見不幸に見えるその体験からもしかしたら大変貴重な何かを悟り、飛躍的に自己向上させているかもしれませんよ。
そうであるよう切に願います。

その辛い、苦しい体験が無駄になりませんように・・
何かを悟ることにより、来世では幸福を引き寄せられますように・・
惨い親によって酷い目にあっても、自分自身はその未熟な親を憐れみ、来世で優しい慈悲深い親になることが出来るだけの高い心を持つことが出来ますように・・・

と切に願います。

あの世は平等です。
自分が他者に対して行った分だけ良くも悪くも例外なく返ってきます。

最後にもっと興味がおありでしたら
「シルバーバーチの霊訓」を読まれることをすすめます。全12巻ですが1巻からよまれると分かりやすいです。
参考になれば幸いです。

以上、参考文献;シルバーバーチの霊訓

参考URL:http://bookweb.kinokuniya.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978990488

投稿日時 - 2006-08-01 01:44:57

お礼

因果応報、生きて目に見える限りでは無では無いと思います。
いじわるをしたら人から嫌われる、金に目が眩み仕事だけの成功者とはなり最期に虚しく死んでいく。
実際に苦労苦労でやってきた人が優しさ、寛大さを身につけ、現在多くのファンに支えられるという人も見ました。
そんなことも因果応報に近いかもしれないです。

その幼くして亡くなる人について、以前何かの本で読んだと思います。現世では子供であっても中身は大人であるので、魂自体はそういった目を見ることを知っており、死んだら親よりもずっと大人の魂がすべて納得して死ぬというようなことです。
思えばそのことが頭になかったかもしれません。このような人たちも皆そうできていて、不幸な運命から他の生温い人生よりも大きなものを得て、悟ることができる設定であればむしろいい経験だったと安心です。
貴重なことに気付くことができました。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2006-08-01 15:49:15

ANo.15

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回答(18)

ANo.18

 よろしければ、佐藤愛子さんの「私の遺言」を読んでみて下さい。佐藤愛子さんという作家をご存知かどうか分かりませんが、非常に率直にお話される作家です。テレビでもはっきり物を言う方で知られています。

 また、江原さんにご興味があるなら、今週刊現代で江原さんが連載されているのですが、今度佐藤愛子さんと江原さんが対談される内容が載りますので、よろしければ、ご一読下さい。

 ちなみに、佐藤愛子さんの「私の遺言」は文庫でも出ていて、500円位ですので、お気軽に読めますから、読んでいただきたいと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103309040/250-6501724-8922664?v=glance&n=465392

投稿日時 - 2006-08-01 22:15:45

お礼

佐藤愛子さんは知ってます。多分一冊くらい本も持っていると思います。
「私の遺言」ですか。それは聞いたこと無いですが、安いので機会があれば買えそうです。(テレビにも出るんですね)
ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-02 00:18:19

ANo.17

12です。やれやれ、この質問には、宗教家の大家が集まってしまいましたね。
saku-magさん、村歴史の本がきっかけとか。
すばらしいことです。歴史というものが何か、という大事な方向へ目を向ければ、霊的なものと人間の関係がわかるはずですよ。霊能者の本などに答えを探してはいけない、というのが私からの意見です。

歴史の本質をもっと見てください。人間の本質をもっと知ってください。歴史と結びつかない命はありません。
歴史と結びつかない命こそ、幽霊と呼ぶべきものです。
医学の道にいると、いろんな体験があります。
でも、霊界のほうを向いても何も真実はありません。

過去の亡霊は確かに社会に息づいています。でも、わたしたちの存在と一緒に歩いているものたちです。生きているわたしたちが、彼らを生かし続けなくては何にもなりません。
歴史に真正面から取り組まなくては、何にもなりませんよ。もっと調べ、もっと広げてみたとき、現在の村、現在の人々やその土地が、理解できるでしょう。亡霊と生きているからこそ、彼らがあるということもよくわかるはずです。

投稿日時 - 2006-08-01 12:55:02

補足

No.7さんの江原さん関連で何となくお礼の補足です。(No,7の補足を使ってしまったので)

先日のSMAP×SMAPをうちの家族が見ていて何気なく相手をして、本当に久しぶりにテレビを見ましたら、偶然も偶然次回のゲストが江原さんでした。このタイミングなので何かの導きかと非常に驚きました。
私も昔はちょっとかじった頃に好きでしたが、少し詳しく入った際に疑問を持ち、あまり好きでなくなってしまいました。ですが次週のこれでも見てもう一度考え直そうかと思います。

またお礼がちょっと投げやりなのは話題がえらい方向に進んでしまい、何がなんだかわからなくなってしまったからです。失礼致しました。

投稿日時 - 2006-08-01 17:46:47

お礼

先程はお礼ができなくてすみません。ちょっと大きな話でしたので何を書けばよいのかわからなくなってしまいました。

過去の亡霊が息づいている・・・。
その方たちが亡くなったのも、本当は一部の人たちの生贄に近く(自分たちが楽をし、難から逃れるためにその人たちを売ったようなもので)、もしその一部の人たちの子孫などが生きているのならば、この方たちの犠牲により平和に生きていられたと言っても過言ではありません。自分たちの犠牲によって生きながらえた人に存在を知られず、おまけに自分たちを売って子孫繁栄させた張本人を崇めあげられると、あの人たちの犠牲はなんだったのかなー、と思ってしまいます。
歴史関係の本を見ると矛盾に思います。あの人たちは殆どが「死んだら何も残らない。もう終わったことだ」とぺらぺらの紙切れのように扱ってしまうんですよね。
そうですね、日本の伝統芸能も霊やらが根源にあるといいますし。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-08-01 15:35:00

ANo.16

No.15です。
他の方々のご意見を読ませていただきました。

まず、あの世自体があるかないか・・が問題になっているようですね。

これでは議論しても平行線ですね。

私はあの世も輪廻転生も因果応報も存在すると思っています。
証拠は?
と問われると困りますが、研究者たちの長年にわたる研究から科学的に実在を証明した本がありますから紹介します。
参考になれば幸いです。

生まれ変わりの研究;
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4531080866.html
前世療法;
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980904321
続「あの世」からの帰還;
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980455888

投稿日時 - 2006-08-01 12:39:41

お礼

>これでは議論しても平行線ですね。
そうです・・・。自分が見えなければ無いと決め付けるのはどうかと思うので無いともまたはっきり在るとも決め付けられませんが。
でもあの世の有無はちょっとオマケです。これがないと話が進まないといえばそうですけども。
二冊目は読んだことはないですが有名なワイスさんですね。
参考書もいろいろと紹介してくださってありがとうございます。

投稿日時 - 2006-08-01 15:39:29

ANo.14

No.5ですが。
私の回答はお気に召さなかったようですが、一応目を通していただいていると思い再度書き込ませていただきます。
カルト宗教の定義には「危機感を煽って信じ込ませる」と言うものがありますが「若くして壮絶な苦しみを受けながら亡くなった・・・」には明らかに危機感を煽る表現になっています。
この言葉に続く「何をすれば避けられるか?」にこの言葉を言った理由があると考えられます。

某ネズミの国が好きな人は「夢を与えられている」と感じているようですが、夢にばかり気をとられて夢を売っていることに気がついていない人が多いです。
それと同じように危機感を煽る表現にばかり気をとられて、それを発言した人が何を対価に危機感から解放しようとしているのか理解できていないと思います。
霊能者と言う者は100%金儲けのために活動しています。
信じる人を恐怖に陥れて、そこから解放させたと信じ込ませることで対価を得ているので、あなたの不安が解消されることはありません。

あの世は無く、死者は無となることが平等だと思えば解決すると思いますが・・・。

投稿日時 - 2006-07-31 19:34:16

補足

これまで亡くなった方のその後を心配することが悪いことかも考えたことはなく、恥ずかしながら現在もわからない阿呆です。こんな人のために何度も書かせてしまい、すみませんでした。
これだけの方にいろいろと回答を頂いてもわからないというのに、これ以上気を病ませることもないですし、またこちらのサイトの規約「討論化させないこと」に反しそうな気がしますので、そろそろ締め切ろうと思います。
皆様、何ともお礼にならず申し訳ありません。
こちらの質問には処置がかかりそうですので、早めに切るつもりです。

投稿日時 - 2006-08-01 01:46:04

お礼

いえいえ、気に召さなかったというわけではありませんよ。むしろ質問文に書けなかった自分もいけなかったです。
>この言葉に続く「何をすれば避けられるか?」にこの言葉を言った理由があると考えられます。
こちらの文ですが、探しましたがどこにも書いてありません。この話は人に教えられた話ではないんです。回答者様の文によるとこの話をした後に「何をすれば避けられるか?」と言ったように書かれていますが、私はこの話は村歴史的な書物で知りました。
それもこういった目にあった人たちに対する何のいたわりも同情もない書かれ方でした。
私のほうが伝わっていないかもしれないので、反抗しているわけではないんです。
カルト宗教の話まで出てきてしまったので。

投稿日時 - 2006-08-01 00:05:20

ANo.13

こんにちは。
#10のWendy02です。

話がきちんと伝わっているとは思わなかったけれども、片方の「未来永劫」という言葉は信じても、もう片方は、まったく耳を貸さないというのは、なんともいいようがないです。

私は、宗教を信じろとも信じるなとも、書いたつもりもありません。

ただ、結局のところ、ご質問者は、権威ある人が、「未来永劫苦しむことはない」という、打消しの言葉を与えてほしいように思えます。でも、私は、そういう結論づけた考え方を求めるのはやめたほうがよいと思います。それは、結果的には、カルトを求めているのと同じことなんです。私には、何かのいんちきな言動に振り回されているような気がします。ご自身で考えるべきだ、といっているのです。

「物事を、仮定を立てて、それに対して結論付けないこと」

信じられないなら信じないままに、結論付けずに、もう一度考えてみる、そういうことが必要なのではないでしょうか?答えを早く求めすぎると思います。

霊や死後の世界を否定するのと、肯定する間は両極端であって、実のところは、各々の感性につかさどるものであって、宗教を否定するのも肯定するのも大差のないことです。ただ、現代人は、神秘主義は信じるくせに、本質的な事には目をつぶろうとしているようです。あなたご自身が言っていること自体は、盲目的な宗教のようにしか思えないのです。そこには、救いが感じられないので、行き詰ってしまうわけです。

しかし、私たち現代人の心は、一部では過敏に、一部ではものすごく鈍くなっているように思います。

>この世で苦しい目にあった人が死しても苦痛を受け続けなければいけないのか、楽にはなれないのか、というようなことです。

一体、誰がそんなことを言ったか、それが信用に足る言葉なのか、もう少し精査したほうがよいです。日本の歴史の中でも、無残ななくなり方をした人たちが大勢います。その無残ななくなり方をした人たちが、私たちに語りかけるものは、何だろうか、って考えたことがありますか?

昔、日本のある作家さんが、学生運動のときに、学生の反戦活動家に対して、「君たちは、第二次世界大戦のときに『白バラ』というグループの取った行動を知っているのか。君たちは、彼らのような勇気があるのか!」と訴えました。

>幼児殺害事件での多くの被害者の方は未来永劫あのままなんて、それだったらあんまりではないでしょうか。

確かに、不幸なことです。霊視すれば、その答えは出ますが、それを書いたところで、何もなりません。それは、感性の中にあるものであって、また、それについて議論したところでしょうがないことです。しかし、未来永劫という空虚・空想のの世界に対して、あなたは、それを肯定しようがしまいが、何も変わらないのではありませんか?同情や憐れんだところで、何も変わらないと思います。「救われています」と聞けば、ホッとするのでしょうか?

未来永劫なんていうことを、私たちが証明できる人はいません。

私たちは、多くの死を乗り越えて、私たちは、今日に至っているわけで、歴史の中の私たち自身も、歴史の一こまに過ぎないのではないでしょうか?しかし、そうした人たちの無念を忘れないで、次の世代をより良いものにしていかなくてはならない、ただ、それだけのことではないのではありませんか?

投稿日時 - 2006-07-31 18:59:58

お礼

やはりお礼を付けた方が良いかと書かせていただきますね。
前回のお礼についてですが、過去のことは考えなければいいで終わってしまい、また予想もしていなかった宗教の話やらが出てきてしまったため、気にそぐわないものになってしまったかもしれません。
ですが、質問内容ではなくお礼に対してスペースを使用したとなりますと、色々と利用規約に違反し、運営スタッフさんからそのうちシールを貼られてしまうと思います。
さらには別のスペースを使い、悪口まで書くことは無いんじゃないでしょうか・・・。
無礼な奴だと思うのでしたら無視した方がこちらの利用に無難ではないでしょうか。

投稿日時 - 2006-08-01 20:27:48

ANo.12

ちょっとみなさんと違うかも。目に留まったので寄らせてもらいます。
精神病棟で仕事をすると、ああ、死ねたらみんな楽だ、生きているのは大変だよ、でもさ、としょっちゅう思います。
まず何が大変といって、すごい数の細胞、分泌物質、神経系を統括して、一個の人間をやっているのですから、そのどこかのひとつぶが狂っただけで、壮絶な苦しみを味わうわけです。
霊魂が苦しんでいるのではなくて、この統合が損なわれて、肉体が苦しんでいるので、精神がそれをキャッチして苦しむんです。
現世でひどい目に遭って、苦しんだ方というのは、病気じゃないとお思いでしょうが、こういうレベルでは大変な肉体の変化があるのです。細胞も死ぬし、異常をきたすし、異常分泌もあるんです。神経も炎症を起こします。心がぼろぼろになる理由があります。

あの世に肉体がなければ、こんなことは起きないだろういうことばかりです。
痛みや、苦しみは、観念として存在もしますが、観念は肉体がないところには存在しない、というのが私の思いです。罪人も善人も全員楽になるといいな、と思います。

もうひとつ、肉体は、大自然や先祖から受け継いで、育てられて、親や周りの人や社会の力を借りて作られますね。
その人自身の責任でばかり、細胞レベルの故障が起きるのではありません。
罪人が社会に罰せられることと、罪人の命が苦しむことは別のシステムです。
社会をうまく生き抜けることと、命をまっとうすることも、別のシステムです。
平等を目指さなければならないのは、命ではなくて、社会なのです。
あの世の心配などしないで、毎日を健康に生きてください。

投稿日時 - 2006-07-31 18:54:07

ANo.11

あの世には天国も地獄も有りません等しく皆無になるのです。                                                    ただ来世が違うだけです。                                       悪い事をした人間はそれ相当の物にうまれかわるのです。例えばゴキブリとかもう一度人間に生まれても非常に苦労するとか…                                              いい事をした人は鳥になったり幸せな人生を歩む人間に生まれ変わったり…                                    

投稿日時 - 2006-07-31 16:04:06

ANo.10

こんにちは。

死後の世界のあるのないのとかいう話は、一応、アウト・オブ・クエスチョンだとします。人によって、神秘学の知識の傾向によって意見は違うと思います。今は、昔からお年寄りから言われていた話も、今や情報過多で、どこかに消えうせてしまうことも多いわけで、インターネット掲示板で、こういう話は残念なことです。本来は、身近な人同士でお話できれば良いのですが。

ご質問者さんは、宗教心のお持ち主ですね。たぶん、まだお若い方だと思いますが、結論から言うと、一生を掛けてご自身で勉強なさってください、というしかありません。他人の話は、最初は納得したように思えても、しょせん、他人の話で、「そうかな」とか、「良く分からないな」って思い始めます。

ただ、私から言えるのは、結論は出さないことではないでしょうか?結論を出したりすると、新興宗教はおろか、カルトになってしまいます。また、しょせん、人の心は年とともに揺れ動くものです。しかし、本来、あちらの世界に興味を持つというのは、あまり喜べないことです。この世は常に移り変わり、ひとつとして定まるもののない中で、楽しいことがあり、悲しいことがあり、苦しいことがあります。その中で、一生懸命生きることしかありません。

昔、私は、『出家とその弟子』の倉田百三さんが、ある新興宗教家に宛てた手紙を読んだことがあります。彼は、自分は、あなた(宗教家)のように100%の光の中に自分の身を置くことができない。いつも、一点の明かりを頼りにしているだけです、というような内容だっと思います。それが本当だと思います。100%見極めるなど、ということは、生きている限りはありえません。嘘つきか精神がおかしいかどちらかだと思います。

多くの著名な宗教家の最初は、同じような発端です。それは、大事にして、育ててください。

それと、親鸞さんの「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の悪人正機説は、阿弥陀の本願や当時の一般の人たちの思想背景が分からないと、ひじょうに分かりにくいのではないでしょうか?本当は、自分の罪深さを分からなくても、阿弥陀様は人をお救いくださるけれども、ましてや、罪を悔いたものに対しては、真っ先にその人を救ってくださる、とでも解釈したほうがよいと思います。だから、浄土宗では「本願ぼこり」といって、心を伴わない信仰心を強く戒めます。

さて、後は、私のつまらないお話を書いておきます。

おっしゃっている話は、浄土教系の仏教観と他の思想(キリスト教系や神秘学系)の間の話のようです。浄土教系は、阿弥陀如来が、いずれは救ってくれますよ、というわけです。だから、安心して死んでもよいですよ、阿弥陀如来を信じましょう、というわけです。

だけど、阿弥陀様というのは、ご存知のように、あみだくじ、のように、アットランダムで、1回きりで「当たる」可能性は、神のみぞ知る、にふさわしいようなものです。しかし、何度でも、くじ引きはしてよい、それが、浄土教系の平等観です。

キリスト教の「平等」という概念は、例えば、新約聖書に出てくる、イエスを裏切りった、イスカリオテのユダは、永久に許されないとされています。仏教的な思想観からすると、ひじょうになじめないし、また、ユダは、イエスは、事前にそのことを知っていて、そうなる運命で避けられなかったわけで、彼は、それでも大きく自分の罪を悔いたのです。なのに、許されないわけです。救われる人がいれば、救われない人がいる、それが「平等」で当たり前とするのです。旧約聖書の弟を殺したカインは、神の怒りをかい、烙印を押されて、未だに荒野をさまよっているのでしょうか?それが、今の私たちの世界の人々かもしれません。

いずれにしても、仏教では、「苦」は、本来ないものをあるものとして執着する心のことをいいます。キリスト教系の懲罰的な「苦」とは大きく違います。

今生で、壮絶な苦しみを受けながら、死後、その苦しみを引きずっているという話の信憑性がどこにあるのでしょうか?「苦」というものは何か、ここで言われているのは、私たちの肉体を通した「苦」の感覚なのではないでしょうか?そして、もし、霊的な意味でいうなら、それは、厳密に言い当ててはいません。それは、憐れみであって、「苦」の本質を見極めているわけではなく、生きている人間が同情的に言っているにすぎない、と思うのです。

例えば、怪談で有名な『お岩さま』は、今も祟りをなす、というほど、恐ろしがられています。彼女の恨み、苦しみが、今生に残って力を発揮しているのでしょうか?この考え方は、日本人独特だといわれています。これは、ある意味で、こうした「念」を、一種のエネルギーとして力学的に考えているのだと思います。宮崎駿さんの『もののけ姫』の中で、山犬のモロが首が飛んで、恨んでいたエボシの腕を噛み切るというシーンは、同じような話は昔からの言い伝えです。恨みのエネルギーの質的な転換なのです。そして、人々は、それを恐ろしがるのです。

それが事実かどうかは別として、私たち生きている人間が、そうしたエネルギーを実体化させるのに成功しても、死者に救いを与えないとしたら、死者ならぬ、生きている私たちの死後を考えると、ご質問者さんがおっしゃるように、確かに安心して死ぬことなのどできません。私は、仏教でいう「追善供養」で死者の魂が救われるなど、インチキだと思います。仏教でいうように、「仏陀の教えは、死者のためならず」だと思います。

死後の魂(魂という言葉は、一般的には死者の意識を実体化させたものですが、ここでは、物理的な意味合いは持ちません。霊とも別、霊は霊体というように、ある種の世界を持った実体が伴ったものです。霊界は、生前の人間の意識をエネルギーとし実体を持ったものとした世界)が死後も同じように苦しみを感じているのだ、というのは、理屈には合わないのです。それは「霊」の世界の話であって、それは、死後の世界とは重なり合っても違う世界なのです。それは、私たち生きている人間が、その出口を見出さなくては、単なる恐怖心をあおるカルトと同じ思想になってしまいます。死によって救われるものでもなければ、死して神になるわけでもありません。また、時間の違う単位の世界がある、としかいいようがありません。しばらくは、「霊」として、意識は残ったとしても、それもいずれは、関係のないところに行ってしまう、そう思うのです。

投稿日時 - 2006-07-31 12:59:35

お礼

長々と書いてくださってありがとうございます。
ただ私は宗教は嫌いです。どれを見ても偏っているように思うので。第一、「自分を敬え!自分以外のものはニセモノだ!」「自分を裏切ったら地獄に落ちて当然だ!」なんて言っている人のことを尊敬なんてできません。
私が聞きたいことと、ちょっと伝わっていることが違うように思います。
その人が現世で彷徨っていることに関してではなく、この世で苦しい目にあった人が死しても苦痛を受け続けなければいけないのか、楽にはなれないのか、というようなことです。
特に子供は死というものがわからない、なんて聞きました。ならば現在起きている幼児殺害事件での多くの被害者の方は未来永劫あのままなんて、それだったらあんまりではないでしょうか。

投稿日時 - 2006-07-31 16:52:36

ANo.9

 質問者さまの考え方だと、「非常に不幸な生い立ちのあげく非行に走り悪事を重ねてしまった」という人間はあの世で救われるべきでしょうか? それとも罰を受けるべきでしょうか? また、「非常に幸福な生い立ちで何の苦労もしていないが悪事もまったく働かなかった」という人間は?

 難しいことは考えず「全ての人間は救われる」と考えた方が楽でしょう。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というではないですか。

投稿日時 - 2006-07-31 00:35:16

お礼

私もえらい人間なんぞではないので何も言えないのですが、それだとプラスマイナス・・・みたいな感じなんでしょうか。免じて中流?
全ての人間が救われる、そうであったらいいのですが、さほど疑う必要もなさそうな霊能力者さんが、自分勝手に生き、人を困らせ楽に死んだ人を「あの世のとってもきれいなところで、何不自由なく生活していますよ」と言い、逆に不幸三昧で可哀想な死に方をした人を「この人は今地獄にいます」(なんで?)と言っていた為に、「それって理不尽じゃない?」と思ったので、いくら前世のことがわからずとも悩みが尽きなかったんです。

この人の場合、あまりに若く(というか子供)なので資料に見られない所で悪事をしていたとしてもたいしたものだとは思えないのです。

投稿日時 - 2006-07-31 02:05:22

 ちょっと、状況が分かりかねますが、まず現世に執着があったり、死後の世界を否定していた方だとあちらの世界に行けず、いわゆる幽現界をさまようことになります。

 あちらの世界の構造は、ものすごく簡単に言うと、こうなります。

 現世→幽現界→幽界→霊界→神界

 です。

 苦しいというのは、幽現界にさまよって自分が酷い目にあったという悔やみにさまよっているのです。

 それを手放し、あちらの世界に行こうと本人が思いさえすれば浄化され、幽界へ行きます。幽界にもレベルの差があるのですが、少なくとも現世よりは楽な世界です。あちらの指導神の導きに従って徐々に向上していきます。

 苦しんだからあちらではバランスが取れて高い階層に行けるはずというのは、ケースバイケースです。しかし、とりあえず、現世に執着を残して自分の死を受け入れず、幽現界をさまよえば、依然として現世の苦しみを引きずることになります。

 もちろん、人を殺したり、悪事を働いた人はあちらの世界でも非常に低い階層に行き、ものすごく辛い修行をすることになります。

 ご納得行きましたでしょうか?

投稿日時 - 2006-07-30 22:17:22

ANo.7

こんにちは。
いろいろな意見があると思いますが、私はあの世を信じています。
今まではぜんぜん信じていませんでしたが、
江原啓之さんの本を読んでからものすごく信じるようになりました。
8月8日夜の7時から「天国からの手紙」という番組があります。
一度ごらんになってみたらどうでしょうか?
少しは、あの世のことがわかるかもしれません。

投稿日時 - 2006-07-30 19:59:15

補足

もう少しリアルな話をお聞きしたいので、霊関係のことに詳しい方、霊能者の方の回答を頂きたいです。

投稿日時 - 2006-07-30 22:01:13

お礼

ありがとうございます。あの番組は前何度か見たことがあります。
ですが、正直あれを見てなおさら"あの世"が理不尽に感じました。
「生まれてくる意味」なんて言われても、苦労が報われないなら希望なんて持てないですよねぇ。

投稿日時 - 2006-07-30 21:20:40

ANo.6

あの世を信じる信じないは個人の自由ですが、私はあると思います。

 この分野に詳しいわけではありませんが、私が知ってることを書きますね。
 勿論現世での行いの善悪はあの世に影響はするでしょう。
そして苦労をした人の努力も影響するでしょう。現世は修行の場と言われていますが、魂がある限り、あの世に行っても修行はあるそうです。

 現世で酷い目に遭って、苦しみながら亡くなった人が成仏出来ていないのは、その亡くなった方の現世に対する執念や怨念が強くて執着してるからだと思います。本人が自分の現状を飲み込めないとあの世にいけないそうです。だから、人によりますが事故や不慮の死を遂げてしまった人は、なかなかあの世に行けないとか。昔、本で読みましたが、長年彷徨い続ける霊は、その場に縛られ自縛霊になると書いてました。

 亡くなった方の冥福を祈ることは良いことだと思いますよ。現世を彷徨っていても、祈ることで亡くなった方の心を癒し、あの世へ行くきっかけを作ることもあるそうです。ちゃんと伝わっているらしいですよ。

投稿日時 - 2006-07-30 19:20:36

お礼

祈ることで癒すことができますか。
個人的な心配解消のために事実を捻じ曲げるということならいくらでもできますが、そういった多くの人たちが苦しんだままだと思うと、楽をしてよいのやらと思ってしまいます。
こちらで出来る限りお祈りでもしようと思います。

投稿日時 - 2006-07-30 21:51:54

ANo.5

「あの世」の存在を信じないと言うか、否定的な考えを持っています。

死者が生き返ったと言う例が医学的に証明されたことはなく、現世に生きる人間があの世の存在を確認できるわけがありません。
しかし、数多くのあの世に関する情報があるのはなぜなのか?
このことについては様々な要因があると考えられますが、私の考えでは

1.仮死状態において脳内に麻薬に類似する物質が分泌され、その影響により幻覚症状が現れ「あの世」とされる世界を見た。
2.宗教家や霊能者と呼ばれる人が、悪意もしくは救いのために創りだした。

この二つではないかと考えます。
オウムやその他の宗教犯罪を犯した団体の教祖は、事件が発覚する以前にはあの世でどのような待遇が受けられると言っていたのでしょうか?
信者の人生を破壊した上であの世でも好待遇を受ける予定になっていたはずです。

あの世と言うのはあの世を創りだした人間の思う通りとなり、実態の無いものを信じる人のお金や労力を絞りとるものです。
自分がこうあるべきと思うあの世を自分で創り出し、それを信じることができないのであればあの世を信じるべきではありません。

投稿日時 - 2006-07-30 18:42:49

ANo.4

霊学者さんの話はアテにならなくて、ここで聞いた話がアテになる根拠が無いので、その質問はやめたほうが良いと思います。
もしここで「専門家」という人がいろいろ書いたら、それによってまた混乱したりするわけですよね。
そして、そのショックな話がアテになるわけでもないんですよね?
死んだ後のことは死んでから考えれば良いのでは?
(考えられるのかどうかはしりませんが)
いま生きている時間を大切にしてください。悩んでも解決もしませんし、悩んで時間をムダにしていれば質問者さんのおっしゃる「あの世」で良いことになるともあまり思えませんよ。

投稿日時 - 2006-07-30 18:38:13

お礼

うぅん、自分だけが現世で幸福になれば全部丸く収まる・・・んだったらなんでもないことですが。
ここのサイトでもこんな質問を見ました。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2280613
この彩香ちゃんはじめ、可哀想な亡くなりかたをした人は数知れません。でもそういった人たちがかわりにあの世で幸福になってくれているならば、私たち生きている人間が心配する必要もないですし・・・。

投稿日時 - 2006-07-30 21:31:35

あの世に行って帰ってきた人はいませんから本当のことは誰にも分かりませんね。
昔から地獄の沙汰も金次第と言いますし・・・
まあ、最近のあの世では株や大金を持っていった人が幸せになっているのかもしれませんね。

投稿日時 - 2006-07-30 18:31:42

ANo.2

専門家ではないですが、ちょっと確認させて下さい。(1)あの世でもこの世でも「平等」でなければならないというのは、あなたの理想ですか?(2)「平等」は良い事ですか?

投稿日時 - 2006-07-30 18:24:45

ANo.1

 平等もクソも、あの世なる物は存在しませんから。

投稿日時 - 2006-07-30 18:18:14

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