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解決済みの質問

鉄道

JR西日本の脱線事故に少し関連しています。。。
関東ではJRと私鉄が地下鉄に乗り入れているのに、なぜ私鉄王国とまで言われる関西ではJRと私鉄が連携していないのですか?
JR西の件で「広軌」「狭軌」「標準軌」の違いがどうのこうのと...
JR、南海と近鉄南大阪線は狭軌でほかの私鉄は標準軌、だから近鉄は橿原神宮前駅で橿原線と南大阪線がバラバラとも聞いたのですが。近鉄南大阪線は昔は南海だったという話も聞いたことがあります。

長々とすみません。

投稿日時 - 2005-06-20 10:22:11

QNo.1460804

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

まず、関西が私鉄王国と言われるのは、歴史的な成り立ちが違うのです。
関西の私鉄は、京阪神間や和歌山・奈良と言った、都市間交通として発達してきました。
旧国鉄は、長距離輸送や貨物輸送にりきてんを置き、都市間輸送では私鉄の敵ではありませんでした。
それ故に、私鉄が高速大量輸送機関として発達したのです。

次に、発達の経緯の中で競争や合併がされていきましたし、戦時下と言う特殊事情がそれに加わりました。
近鉄の標準軌(1435mm)区間と、狭軌(1067mm)区間もそのような中で生じたのです。
近鉄は、その前身を大軌(大阪軌道)と言い、いまの近鉄奈良線がその母体です。
そのライバル社として、大鉄(大阪鉄道)があり、それが狭軌区間の前身です。
やがて、大軌は大鉄を併合し、その後、参宮急行を合併して伊勢に進出し、さらに伊勢電鉄を併合後、名古屋にも進出して、関西急行となりました。

やがて、戦時下に国策として私鉄の合併がなされ、関西急行と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となりました。このとき、南海が持っていた旧阪和鉄道(南海山手線)は、南海から引き離され、国鉄が買収していて、いまのJR阪和線となっています。
同様に、阪急電鉄と京阪電鉄が合併し、京阪神急行が出来上がっています。こちらも、京阪が高速新線として建設した、新京阪線(現阪急京都線)も合併の対象となっています。

戦後、国策が解除されたときに、近畿日本鉄道から南海が独立し、いまの姿となりました。
また、京阪神急行は、新京阪線を残して京阪のみが独立し、こちらも今の姿が出来上がったのです。

直接の回答にはなっていませんが、関西の私鉄の歴史を振り返ることで、少しでもご参考になれば

投稿日時 - 2005-06-21 07:19:31

お礼

いや~ホントありがとうございます。
関西急行というのもどこかで聞いたことがあったと思っていましたが、そういうわけだったんですネ。
そういえば伊勢神宮といい、橿原神宮といい、長谷寺といい...
近鉄は本当の意味での「参宮急行」といった感じですネ。
参考になりました。
お陰で鉄道にも親しみが湧きましたw

投稿日時 - 2005-06-21 09:28:51

ANo.3

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回答(5)

ANo.5

関西私鉄の場合、多くが都市間連絡路線であるため、都心乗り入れは必須でしたが、大阪市のモンロー主義のおかげで、市電への乗り入れができませんでした。モンロー主義崩壊後、その反動で都心乗り入れが進んだという経緯もあります。

一方、関東私鉄だと、都市間連絡的な路線、京浜(京急)、京王、京成は最初は市電(都電)への乗り入れを考え、都電のゲージになっていました。京浜はそのため、標準軌→都電ゲージ→標準軌と二度の改軌をしています。ですから、当初、これらの私鉄は都心乗り入れは市電乗り入れで十分と考えていた思われます。
東武、西武は都市間連絡路線ではなく、郊外路線で、どちらかといえば片輸送の路線です。
また、西武の池袋、高田馬場はともかく、東武の浅草や京成の上野は当時なら十分終着地となる繁華街でした。

なお、戦前、多くの私鉄が自前の地下鉄による都心への乗り入れを計画していました、免許を得たものもあったようですが、資金面等で実現せず、一部は戦後の地下鉄として実現しています。
戦後、都市計画として、地下鉄乗り入れの方針が決定したことで私鉄による都心乗り入れの可能性は消えました。
なお、ほとんどの私鉄が山手線ターミナルに平行に乗り入れているため、都心乗り入れをするとターミナルをスルーしなければならない構造になるのも問題になったと聞いています(東上線の三田線から有楽町線への乗り入れ先変更など)。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/kansai/story55.htm

投稿日時 - 2005-06-21 12:14:17

お礼

参考URLまでありがとうございます。
関東圏、関西圏のみならず、各々の会社での思惑があったんですネ。

投稿日時 - 2005-06-21 19:34:32

ANo.4

山手線に私鉄が入れなかったのは、山手線内は「皇居」がある神聖な場所なので、公で作った鉄道以外は入れなかったと聞いたことがあります。
その結果、私鉄は山手線から放射状に伸びざるを得なかったということでしょうか。
割と等間隔で放射線状なので、競争も起きにくいです。
人の移動も、外から中への一極集中となっています。

対して関西は、神戸~大阪~京都の横のラインの移動が一番多いので、そこに国鉄や私鉄が競争して線路を引いた結果、競争社会となっているのではないでしょうか。

投稿日時 - 2005-06-21 10:19:06

お礼

ありがとうございます。確かに京阪神を横断する鉄道はスゴイです。

投稿日時 - 2005-06-21 19:32:34

ANo.2

ゲージについてはいわれるとおりで、ゲージが違えば相互乗り入れは物理的に不可能です。
どうしてゲージが違うのかといわれれば、それは各鉄道会社が経営判断で独自にやってきたからです。(競争相手と相互乗り入れなんか考えるはずもありません。)
近鉄南大阪線がかつては南海だったというのは南海電鉄がその路線を作ったが、戦時中にたくさんの鉄道会社があって競争しているのは非効率だというので合併させられましたが、戦後また分かれたという経緯があります。ただ、このときに同一の鉄道会社が同じ方面へ向かう複数の路線を持っていると競争を阻害するという独占禁止法の考え方がアメリカからとりいれられたため分かれるときに他の会社に譲渡することになったものです。同様の例で言えば阪急京都線は京阪でした。
なお、連携ということでいえば、昔は南海なんば発の紀勢本線経由の急行がありました。
またJRと近鉄についてはJスルーカードが使えるなどの連携はあります。(近鉄はスルット関西も使える。)

投稿日時 - 2005-06-20 10:38:12

お礼

ありがとうございます。「ヘェ~」の一言に尽きます!!

投稿日時 - 2005-06-20 16:31:30

ANo.1

成立の違いですね。
東京は山手線内に私鉄が入り込めなかったのです。
戦前戦後は都電で十分って考えがあったのかもしれませんし、そもそも私鉄が発展しておらず何処も田舎電車だったんです。(2~3両で十分客が運べましたし。)
その後急速に発達した都内で都電では運べなくなったんですけど、今更私鉄が入り込む余地が無く地下鉄と連携して入り込んだ訳です。
関西は最初から環状線内に私鉄が入り込んでいます。
その為、地下鉄と連携する必要があえてなかったのです

投稿日時 - 2005-06-20 10:36:35

お礼

なるほど。大阪環状線では京橋(JR×京阪)や鶴橋(JR×近鉄)、新今宮(JR×南海)ってわけですネ。

投稿日時 - 2005-06-20 16:15:51

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